前回の続編です。
最近、かなり本気である。
あと7年。
NISAを育てて、
ブログを書いて、
できれば場所に縛られない仕事も見つけて、
55歳になったら、
「来月のシフト出ました」
から解放されたい。
海外にも長く行きたい。
ベトナムとか。
タイとか。
暖かいところで、
昼間からビールなんか飲んじゃって、
「あー自由って最高」
とか言いたい。
そのために最近の私は、
NISAの画面を見てはニヤニヤし、
電卓を叩いてはニヤニヤし、
「55歳 セミリタイア」
みたいなことばかり考えている。
仕事中にも考えている。
自由になるために働いている。
もう気持ちは半分辞めている。
あと7年ある。
そんなある日、
夫に聞いてみた。
「何歳まで働くつもり?」
夫は言った。
「死ぬまで。」
……。
すげえ。
私は55歳で逃げようとしているのに、
この人、
死ぬまでいるらしい。
職場に。
夫婦で人生設計が違いすぎる。
私は仕事の日になると、
朝から、
「今日仕事かぁ……」
と思う。
家を出る頃には、
もう帰りたい。
まだ家にいる。
帰る場所にいるのに、
帰りたい。
一方、夫。
死ぬまで働く。
強い。
この人、
S&P500より安定している。
そんな夫に、
私の壮大な計画も伝えてある。
「私、55歳で自由になりたいんだよね」
「いいんじゃない?」
おお。
「海外にも長く行きたい」
「行けばいいじゃん」
おおお。
「1か月とか行くかもしれないよ?」
「いいよ」
なんという理解のある夫。
私は自由。
夫は仕事。
私はベトナム。
夫は仕事。
私はフォー。
夫は仕事。
私は昼寝。
夫は仕事。
完璧ではないか。
さらに聞いてみた。
「じゃあ私、55歳になったら自由でいいんだ?」
「いいよ」
やった。
ついに許可が出た。
55歳。
自由。
確定。
……と思ったら、
夫が言った。
「でも、ちょっとは働いてよ」
え。
完全自由ではなかった。
条件付きだった。
自由(週何日か勤務)。
どうやら夫の言う「自由」と、
私の言う「自由」には、
若干のズレがあるらしい。
私の自由。
好きなときに起きる。
海外に行く。
ブログを書く。
昼寝する。
ビールを飲む。
気が向いたら働く。
夫の自由。
好きにしていい。
海外も行っていい。
ただし、
ちょっとは働け。
なるほど。
現実的である。
でも、
「働け!」
ではない。
「ちょっとは働いてよ」
である。
この「ちょっと」が重要だ。
私はこの言葉を、
かなり都合よく解釈している。
月5万円くらい稼げば、
「ちょっと」に入るのではないか。
週1でも、
働いたことにはなる。
なんならブログで500円稼いでも、
働いたと言えるのではないか。
言え。
そこは言わせてくれ。
ということで、
我が家の55歳以降の予定は、
だいたい決まった。
夫。
死ぬまで働く。
妻。
自由。
ただし、
ちょっと働く。
夫婦で同じ方向を向いて歩いていく。
そんな言葉を聞いたことがある。
我が家は違う。
夫は職場へ。
私はベトナムへ。
方向からして違う。
でも、
夫はそれでいいらしい。
私もそれでいい。
なんなら、
かなりいい。
ありがたい。
では夫よ。
お言葉に甘えて、
私は55歳で自由を目指します。
安心してください。
ちょっとは働きます。
たぶん。
本当に大器晩成なのかは、また次回。



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